末尾ルコ 芸術と革命、そして最高を目指す介護日誌

言葉を磨くことは、人生と人間を磨くことに直結します。映画、文学、音楽・・・芸術は人間の可能性を広め、深めます。共に戦いましょう!山田姉妹、ミシェル・ウィリアムズ、レア・セドゥ、ももクロ、桜井日奈子ら、現代のミューズたちを賛美します。要介護3の母と生きています。介護、そして医療現場と、「言葉」「芸術」の関係を語ります。

●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌225日目~WOWOWドラマ『有村架純の撮休』で「悪夢の快感」とは?~「日本のテレビ」と「視聴者」の特殊事情。

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、社会観察」

5月16日(土)手術後419日目
退院後225日目

「夢」のお話をしたけれど、WOWOWドラマ『有村架純の撮休』でおもしろいエピソードがありましたのです。
有村架純の撮休』とは、突如撮影がお休みとなった有村架純「日常」を描いたドラマでして、「ドラマ」と言っても日本の多くの寒いテレビドラマとは違って、是枝裕和監督などが創作した極めてクリエイティブな「ドラマ」なのです。
ちなみに「テレビドラマ」あるいは「ドラマ」という呼び方は日本独特に近く、例えば米国では「テレビシリーズ」などと呼ばれます。
数回で終わる作品であれば「ミニシリーズ」。
特に米国の有料のミニシリーズは映画に準ずるクオリティの高い作品が多く、そして言うまでもなくNetflixで配信される「映画」は日本で言う「テレビドラマ」などとは全く違う「ほぼ映画」あるいは「完全な映画」です。
ここで敢えて「ほぼ映画」という言葉を使ったのは、やはりわたしには「映画は何といっても映画館」という気持ちがあるからで、わたし自身現在は自宅での鑑賞機会がずっと多いにも関わらず、「映画館第一主義」を譲ってはならないと考えるからです。

昨今はテレビシリーズのクオリティが上がってきて、特に映画に準ずるクオリティのミニシリーズには映画俳優も時に出演するようになりましたが、かつてと言うか、比較的最近までは映画俳優として活躍していた人が「テレビへ出たらもう終わり」という認識があったのは間違いなく、グレン・クローズもインタヴューでそのような話をしています。
まあ少なくとも米国やフランスなど映画大国では、どのような時代も映画がテレビドラマ(テレビシリーズ)よりもずっと上位概念であり続けていたのであって、日本のようにそうしたことが曖昧になってしまった国はあまりないのですね。
これはもちろん映画市場のスケールの違いもありますが、日本の場合はテレビによって大衆の意識があまりに均質化してしまったと言いますか、日本においてだけでもクオリティ的に映画がテレビドラマを下回ることはあり得ないのですが、そうした芸術文化に対するリスペクトがあまりに希薄で、つまり簡単に言えば、

「テレビへ出て有名=えらい」

と、単純に信じてしまう人たちが多いのですね。
だから意味不明の「タレント」がやたらと跋扈する現状になっている。

わたし、「何でも日本をディスって喜ぶ」タイプの人間ではないですよ。
基本的に日本は大好きです。
だからこそ、困った部分は改善していってほしいだけ。
そして「テレビのすべてを否定している」わけでもありません。

と、ずいぶんと横道に逸れたようですが、これは横道のようで横道ではないのです。

有村架純の撮休』にお話を戻しますと、「ワザと悪夢を見て、目が覚めた時に(夢だったんだ!よかったあ~~)という快感を味わうというエピソードがあるんですね。
この感覚、分かりますよね。